栂彦二百年祭 

8月19日 記念大祭式典 午前11時〜

     於・四方神社本殿 

奉納神楽 

(うらやすのまい)

 浦安の舞 舞姫:四方氏子児童

紀元二千六百年の奉祝が行われた昭和15年11月10日、午前10時に全国の神社で執行された奉祝祭で神慮をお慰め奉るために一斉に奉奏され、それ以来いまでも盛んに舞われる巫女舞です。神楽歌は昭和天皇様の御製(ぎょせい:天皇が自らお作りになられた詩歌)です。曲は宮内庁楽師 多 忠朝(おおの ただとも)の作です。

  天地(あめつち)の神にぞ祈る 朝なぎの 海のごとくに 波立たぬ世を

舞は檜扇を執り持って舞う「扇舞(おおぎまい)」と鈴に持ち替えて舞う「鈴舞(すずまい)」と、曲の前半と後半で執り物を持ち替えて舞います。

曲の前後には神楽笛(かぐらぶえ:日本古来の横笛)の独奏があり、この間に舞姫たちが神前に進みます。

古く我が国のことを「浦安の国」と呼んだのは風土が美しく平和な様子からです。「浦」というのは海や湖の陸地に入り込んだところの波が静かなところを意味します。「安」はやすらか、危険がない、困難がない事を意味します。

日本は平和で安らかで安心して暮らせる国である、という意味です。

この舞を神前にて舞うということは日本が本当の意味で心安らかに安心して住める「浦安の国」になるように、成れるようにという我々の「お願い」を神様にお届けする為なのです。曲の旋律や歌詞がその穏やかさを演出し、初々しい巫女はそのたおやかな舞の動きで「浦安の国」を演出しているのです。

(あさひまい)

 朝日舞 舞方:四方神社禰宜 舩木泰子奉仕)

 朝日舞は宮司自らが舞う事が本義とされ、宮司舞(ぐうじまい)と呼ばれる舞です。神社本庁が戦後間もなき昭和25年、小野雅楽会に作曲を委嘱し祭祀舞(さいしまい)として制定したものです。

 神楽歌は明治天皇様の御製(ぎょせい)です。

  さしのぼる 朝日のごとくさはやかに もたまほしきは心なりけり

  目に見えぬ 神に向ひてはぢざるは  人の心のまことなりけり

舞う際には執り物として大きめの榊葉に白輪、紙垂を付けて舞います。白輪は鏡を現しています。装束は神職の装束が基本です。時に応じて宮司以外の神職も舞います。一人舞のみならず、二名以上複数名で舞うこともできます。

(にんじょうまい そのこまあげびょうし)

人 長 舞 其駒揚拍子  富山県神社庁雅楽部

人長舞(にんじょうまい)とは宮中ほか由緒のある神社で行われる「御神楽の儀」の中で舞われます。人長とは御神楽の儀を奉仕する神楽人の代表者という意味です。

御神楽は、宮中三殿において神楽歌と人長舞とで演じられるお祭りのための音楽であり、その起源は日本神話の「天の岩戸開きの物語」にさかのぼります。

日本古来からの音楽、舞である神楽には、笛は神楽笛という日本固有の笛と、琴は和琴という日本固有の六絃琴を使います。

其駒(そのこま)という曲は御神楽の儀式の最後の最後に行われる舞で、一番盛り上がるところの歌です。歌詞は素朴な内容で、聞いただけではわからないと思いますのでここに記しておきます。

     「其 駒」

      そのこまぞや 我に我に 草乞ふ 草は取り飼はん

      水は取り 草は取り飼はん

歌詞の大意は

「私のかわいい馬がしきりに草を欲しがり、おねだりをしてくる。ようし、よし、それでは干し草をやろうではないか、水も沢山おあがり、もっと干し草をあげるよ〜」

というかんじでしょうか。この歌詞を見て、「何のことながけ〜」と思われると思います。何故このような歌詞が宮中で、しかも大事なお祭りの中で歌われる歌詞なのか、定かなことはわからないそうです。しかしながら愛馬が餌を乞うてそら、やるぞ、という日常の何気ないひとこまを連想させるこの歌詞には平和な日常の様子がうかがわれますので、平穏な日々を願う気持ちが込められているような気がします。

しかしながら日本の古代の歌は歌詞そのものを聞かせる歌ではないような気がします。歌詞を聴かせる現代の歌とは違い、言葉の歌い廻しや言葉と言葉の間を大切にしているような気がします。ちなみに明治時代までは天皇陛下ご自身が琴や笛をお吹きになっていたことも有る由緒のある舞です。今回は四方神社、栂彦二百年祭ということで特別に奉納致します。

祭典中の雅楽演奏奉仕 富山県神社庁雅楽部

 富山県神社庁雅楽部とは県内の神社に勤める神職(神主:かんぬし)たちで構成された楽部です。日本の古典音楽である雅楽の伝統を守るとともに、未来を担う青少年達に伝統文化の素晴らしさを伝えていくことをめざして日々練習に励んでおります。県内の様々な施設や学校への訪問演奏会を行っており、今後更なる演奏活動の拡大を進めていくところです。